自転車ヲタ

昭和40年代の追憶


1971_昭和46年_01
かな〜り長い放置でしたm(_ _)m
他人のHPやブログのお手伝いばっかりしてて、なかなか自分のことまで廻らない^^;
ネットサーフィンで良く拝見するのは、ボタリング(自転車で散歩)ブログである。私自身もかつて自転車小僧だった。中学入学祝いに買ってもらった自転車で、遠くは高尾山や江戸川の土手つたいに東京湾を見に行ったものだ。

ただ、普段の休日になかなか遠出も出来ず、ひとつ目標を立てたのは市内の道の全走破であった。
流山全図の地図に赤鉛筆で走破した道を赤鉛筆でなぞっていくのが楽しみであった。
30数年前のことなどで、ほとんどは追憶の彼方だが、今でも脳裏から離れない記憶は、旧柏飛行場(今の柏の葉周辺)の風景というか空気である。

営門には、まだ米軍の黒人の兵隊さんが居て、こわごわ横目で見ながら荒れ果てた旧飛行場の中に
自転車で入って行った。ほとんど背の高い草に覆われていたが、真っ直ぐな元滑走路の往時の面影はまだ残っていた。
また、おそらく今考えれば若いカップルが車で楽しんだ残骸のようなものや、多くのゴミが散乱していて、とてもきれいと言えるような場所ではなく、早々に走破の目的を果たして帰ろうと思った。

カラスがとにかく多くて、侵入者を私を威嚇するように低く高く舞っていた。
たぶん、まだ夕方には早い午後の日だったと記憶しているのだが、カラスのほかにずっと誰かが私を見ているような気がして、不思議な感覚に襲われたのである。

地図を広げて、点線となっていた滑走路の跡をひとしきり走破して帰ろうとした時、同じ道を何度も走っているのに気がついた。単純な縦横の道なのに、帰路に迷ってしまったのである。
おかしい?
なんでだ?
ほとんど地図に迷うことのない私なのに、なにか永遠にこの空間から脱出できないような感覚に襲われて、「ワァーっ!」と大声を出しながら自転車をこいだが、それでも出口が見つからない。
最終的にどうやってそこから、一般道に出たか覚えてはいないが、まるでそこだけ異次元の世界に入ってしまったような感覚が今でも強く残っている。

この感覚は、小学生の頃市内の他でも体験したことがある。
ひとつは、流山市役所裏にあった飛血山(とびっちやまと呼んでいた)に入った時。
ひとつは、今の三輪野山近隣公園にあった当時森の底にあった沼を見に行った時。

この2ヶ所はとても狭い空間だか、なにかそこだけ空気が違っていて、誰かが自分を見ているような、あるいはもう1人の自分が自分自身を見ているような不思議な感覚に襲われた。
ともあれ、今でも守谷街道を車で走り、防衛庁柏送信所の旧営門前を過ぎる時、往時の記憶が時折蘇るのである。

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2007年06月17日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和40年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大同窓会

昭和40年代の追憶


一昨年の忘年会で、久々に高校時代の部活の同級生やOB等に再会したが、今年は小金高校吹奏楽部創部40周年ということで、記念コンサート&大同窓会の案内ハガキが届いた。

すぐに返事を出そうと思っていたのが、気づいたら期限が先週で終わっていた^^;
今日、急いでメールで参加の意志を連絡したが...
会長!「すんません○┓ペコリ」

...で。所蔵している毎日新聞社刊:決定版昭和史より

小金高校

この画像の上に見える建物が我が母校である。
武蔵野線の開通が、私が中3の昭和48年4月であり、下に見える新松戸駅も未完成なので、この写真は昭和46〜47年頃のものだろう。

ともあれ、大同窓会に参加する私の世代や先輩のOB方々は、こんな田んぼや造成地の中にポツンと建った高校に泥やジャリに足をとられながら通っていたのである。

PS.この大同窓会に出席した日に、当時埼玉県の越谷から小金高校に通っていた同級生が...

 「何言ってんのよ、開通は49年からよ。だって私が通学定期第一号だったんだもん!当時は朝だって1時間に3〜4本。昼なんか1時間に1本しかなかったんだからぁ〜!!」

と、反論していました...そーいえば、最初の1年は貨物列車しか走っていなくて、客車が通ったのはその後だったのかもしれません^^;

とりあえず、当時授業に飽きると窓から見える貨物列車の貨車数の当てっこをしていた記憶が蘇りました(笑)

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2007年06月18日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 昭和40年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カケスのチューちゃん

日記(動物写真館)


ヲタ話 自転車・野鳥・電車 と三話続ける予定だったが、ちょっと脱線して...

私には、子供のいない叔母夫婦がいる。
祖母と同居していて、祖母が亡くなる前は盆・正月は必ずその叔母夫婦のところに泊まりに行ったものだが、私も所帯を持ち祖母も亡くなると、近年はめっきり訪ねる回数も減った。

さて、私が中学生の頃、叔母の家に行った時まるで九官鳥のような声で
「チューちゃんチューちゃん」
「オハヨ、オヨハ」
「ゴハン、ゴハン」
と叫ぶ声が聞こえた。

カケス
画像はjoypapaさん撮影 デジスコde野鳥写真

それは、叔母の家の裏山でケガをして手当てをしている間にすっかり叔母家の住人になったカケスの声だった。

片方の羽がかなりの重傷ですでに飛ぶことはできなかったようで、山に戻すことも可哀想だと、我が子のように可愛がっていた。

実際に庭に放しても、飛べない身体で必死に玄関に戻ろうと健気であった。

叔母夫婦は特に言葉を教え込んだ訳ではない。
叔父の名前は「忠太」と言い、叔母は叔父の事を今でも忠ちゃんと呼んでいる。

カケスは叔母が叔父を呼ぶ声から真似を始めたようで、その他日常でよく会話する短い単語から次々と発するようになったらしい。

叔母の家に集まる子供は、私が一番年長で他の従兄弟はまだまだ悪戯盛りだったため、私たちがいる間はカケスに悪戯しないようにカゴに幕をかけていたので、いつも見えないところから
「チューちゃん、チューちゃん」
と啼いていた。

年下の従兄弟たちは、いつしかそのカケスをチューちゃんと呼ぶようになっていた。

チューちゃんは私が成人後まで生きていた。
正確な年数は覚えていないが、おそらく十数年は叔母夫婦の可愛い子供であった。

野鳥と人間が会話できる筈がない...と思う方も多いかと思うが。

チューちゃんと叔母夫婦の関係を見ていた私はもしかしたら、野鳥も私の鳴き真似に応えてくれるかもしれないと、いつも古間木と野々下の同じ林の入り口、同じ場所に自転車を止め、同じ方向に向かって、チチチっ、グルル、ピーピー、チョットコーイと声をかけていたのである。

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タグ:カケス

2007年06月19日

posted by たすけ at 20:24 | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記(動物写真館) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

百香亭 中国語でしゃべらナイト

美味いもんチャンネル


中国家庭料理 百香亭(ひゃくこうてい)野田店 千葉県野田市山崎2638−68

今夜のTVのチューボですよ!では、佐伯チズさんがゲストで棒々鶏冷麺がレシピであった。
棒々鶏(バンバンジー)には色々思い出もあるのだが今日は近所にオープンした百香亭(ひゃくこうてい)という中国家庭料理のお店について。

たまたま昨晩、旨いチャーハンの店について、ワカメの口コミで紹介しているつくば市に本店のある同店について話していたら、なんと今朝の新聞折込に家から5分程度の所に新店オープンのチラシが入り、早速出かけてみた。

hyakukoutei.jpg

場所柄(東京理科大野田キャンパスのすぐ近所)店内は大学生と家族連れで満席で、賑わっていた。
ここは、スタッフも中国の人が多く、まだ開店2日目ということで、オーダーのやりとりやレジでは不手際があったが、味とボリュームは満足だった。

ただ、杏仁豆腐はちょっと固めで、揚州商人の方が美味いと思った。

まぁ、料理については各人それぞれ好みはあると思うが本日メイン3品の中では、カニエビの卵包(天津飯)が誰でも美味いと思う味ではないかと思う。

今日は、食いタン2の最終回でもあったが、
東山紀之の「うん!オイシ〜〜イぃ!」というあの言い方がとても好きで、なかなか本気で言える料理に出会う事は少ないが、百香亭(ひゃくこうてい)はそう言える料理に出会える店のひとつではないかと思う。

...あ。中国語でしゃべらナイト...

「トェン!ハォチィ〜〜イ!」

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2007年06月23日

posted by たすけ at 23:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | 美味いもんチャンネル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

英語でしゃべらナイト

日記(言いたい放題)


特定商取引法違反で一部業務停止命令を受けた英会話学校最大手「NOVA」の外国人講師らでつくるNOVA教職員組合は19日、講師の不安定な雇用形態を改めるよう同社に申し入れると発表した。 という記事を目にした。

私自身は、以前ほんの短期間ではあるが、「シェーン英会話教室」にお世話になったことがある。

何故、シェーンを選んだかは、単純にイギリスという国が好きだったことと、「NOVA」の派手
なCM戦略が好きではなかったことである。

今回の「コムスン」の問題でもそうだが、どうもイメージ戦略を派手に行う企業を私は信用できない
性格である。
この件に関しては、以前にも別サイトに寄稿した記事
「聞いたことのないメーカーの商品で大丈夫?」で詳細に述べている。

勿論、シェーンでも担任講師が短期間で度々代わったり教え上手で熱心な講師も入れば、テキトーに時間を過ごす講師もいたりで、その当たり&はずれはどの英会話教室を選んでも変わりはないだろう。

但し、いわゆる料金体系や支払いについては、いわゆる学習塾の月謝タイプのようになっていて、とにかく先に料金だけ集めてしまうと言うような「NOVA方式」ではなかったので、良心的なというか、当たり前の方式であった。

今日のNHKで、
「納得していますか?あなたの働き方」と題した番組ですぐ離職する若者が悪いのか?
社員を育てようとしない会社が悪いのか?
などという討論会をほんの流し見してが、私にすれば今の会社はイメージ優先で、また働く若者、飛びつく消費者も、イメージ(幻想)に左右されすぎているんじゃないの?いう感慨である。

話が脱線してしまったが、昨日のNHK英語でしゃべらナイト
野田秀樹氏の英国留学時代の英会話上達術がまことに「言い得て妙」であった。

「外国語習得=恥をかく快感」要約すれば、わからないからすぐ聞くことが当たり前であり、わからないことをすぐ聞いて、恥が増える毎に恥がなくなっていく...という事であった。

日本は恥の文化=「自身を省みて恥ずかしいと思う心を行動の基準にする文化」と言われてきたが、マスコミ先導&イメージ優先の時代となり「会社を省みて恥ずかしいと思う部分をいかに誤魔化すかを基準にする文化」になってしまったのかしらん?

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2007年06月24日

posted by たすけ at 02:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

羊頭狗肉

日記(言いたい放題)


羊頭狗肉...
看板には(羊の頭)を掲げ、実際には(犬の肉)を売る意味で見掛け倒しや誤魔化しの喩えとして、よく使われるが、今朝の各紙やワイドショーではミートホープ社の「牛頭豚肉」の話題で持ちきりだった。

でもな〜ぁぁ、なんか違うんじゃない?と感じたのは、マスコミの対応である。

インタビュアーやレポーターはことさらに、田中稔社長の悪事を追求しようと、矢継ぎばやに「道義的責任」を追求する辛辣な質問を浴びせかかる。
勿論、同社同社長のやったことは、まさに恥知らずの行為であり断罪を望む。

しかし、私が違和感を感じたのは、もしミートホープ社が大企業で政界とつながりがあり、マスメディア各社に広告料などの影響力があった場合、同じような対応をしただろうか?
報道の正義という「錦の御旗」を振り掲げるならば、何故もっと大きな悪を何故追求しないんだ?という違和感である。

ごく最近で言えば、刑期終えた男性の無実判明の事項。

富山の冤罪事件の再審初公判で、富山地裁高岡支部は男性(40)を自白に追い込んだ警察官の証人申請を認めなかった。取り調べの検証を求める弁護側と早期結審を目指す検察側の駆け引きで、検察側に軍配が上った。

まさに「そりゃね〜だろ!?」の感慨である。

道義的責任は?
申し訳ないと思わなかったのですか?
と矢継ぎ早の質問は、この事件を当時担当した警察官に浴びせて欲しいよな〜。

それにこの「牛頭豚肉」の件は1年以上前に農水省北海道農政事務所にリークされていたというのに...なんで社保庁年金問題と参院選延期のタイミングの今になって、表面化されたの?

なぁぁ〜〜んか、解せないよなぁあああ!!

私自身がもっとマスコミに忸怩たる思いを感じて欲しいと思っているのは、社保庁や国交省の役人に対して、記者やワイドショーでのコメントが勿論批判はすれども、冒頭の「羊頭狗肉」問題のごとく、責任者にどこまでも執拗で辛辣な質問を浴びせかけないことだ。

はっきり言って申し訳ないが、マスコミはヒューザーの小嶋社長やミートホープ社の田中社長のあの悪人面(すいません^^;)で視聴率を狙っていない?

そう思うのは、一方でさわやかイメージのハンカチ王子やハニカミ王子の露出が各紙やワイドショーでことさら多いせいである。

マスコミも部数や視聴率を上げてナンボの世界だろう。自分たちの銭の元になるスポンサーの批判は
できないだろう。ソースを出してくれる各警察に敵対しては記事もかけなくなるだろう。

それは承知している。だが....
「越後屋、そちも悪よのぉ〜」の世界は時代劇の世界だけじゃない。

藤田東吾氏がどんなに、孤軍奮闘していても元国交省事務次官:佐藤信秋(のぶあき)氏を筆頭とした、国交省の役所ぐるみの耐震偽装事件の隠蔽工作をマスコミは突っ込んで行こうしていない。

それどころか、今度の参院選に出馬する佐藤信秋(のぶあき)氏のキャッチフレーズは
「安全で美しいふる里をつくろう」などという、まさに
「羊頭狗肉」のツッコミどころ満載であるのになぁ〜、
と今日の朝刊とワイドショーを見てため息をついた次第である。

耐震偽装事件の真相に関しては
棒に怒る日本人藤田氏の近況
江口征男建築設計事務所Essaysなどをご参照下さい。

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2007年06月25日

posted by たすけ at 10:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大岡裁き

日記(言いたい放題)


大岡裁きに「三方一両損」の逸話がある。
話の真贋のほどは確認しようがないが、「粋でいなせな江戸っ子」と判事自身が身銭を切って裁くところなんざ、スカっとする話だぜぃ。

江戸っ子も今の日本国民も、お代官様と越後屋の癒着や官僚の天下りや責任転嫁の体質にはもう半ば諦めの境地だろうと思う。

だったらお裁きくらい、スカッとする判決を見てみたいものだが...
つい、こないだまで、年金を納めないのは国民として義務をなんたら...
とお上からの厳しいお取立てのお札が出されたのに...

蓋をあけてみれば、そのお上(社保庁)がまるで合法的なカツアゲだったの!?
責任回避、使途不明、証拠隠滅が出るわ出るわ...

なおかつ、この夏のボーナスは満額支給歴代庁官は、天下り合計数億円の退職金って....

勿論、現時点の社保庁の末端職員まで責任を感じて、給料カットしろなどと言うつもりはない。
納得できないのは、お上としてあぐらをかいてとっぱらいごときの退職金を得た歴代の責任者にもうちっと懲らしめるお裁きがあってもいいんじゃないの?という国民感情だ。

年金の運用や配分を職務とする地位にいたならば、なんできちんと統率、チェックをしていなかったんだよ!
あたしゃ、引退したからもう知りません。っていう厚顔無恥が許せないのだ。

まぁ、現実には不可能な裁きだろうが、歴代の社保庁長官の資産はすべて国庫に没収。なおかつ三代先まで年金負担率は、通常の三倍で支給は通常額通り...みたいな。
つまり、公務員としてその職務を怠った場合は、自分の孫子の代までその責任を負わなければいけない..

そのくらいの責任感を負わせれば、もうちっとマシに仕事をするようになるんじゃないですかねぃ?...ねぇ、熊さん。

いやぁ〜そう言われる前に自分から千両くらいポンっと身銭を出して、今ひたすら頭を下げまくって対応している社保庁の臨時職員の賞与に使ってくれという元長官が出て欲しいものだよ...八つぁん。

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2007年06月26日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

すっとぼけて馬食を切る

日記(言いたい放題)


馬食を切る...

てぇ〜へんだヨ!...熊さん
あんだよぉ、こんな朝っぱらから...八つぁん

社保庁が、職員全員&OB含めて賞与を返還っておいらの言う通りになったぜぃ!

ほぉ?それは社保庁の職員自らの申し出かい?

いやぁ、どうも先ずは将軍様自らが模範を示して、大老様やご老中様も賞与を返還したのでおまえたちも自主的に返還しなさいとのお達しらしい。

なんだ、アホらしい。
要は、今度の老中選挙前のイメージアップのために、泣いて馬食を切るどころか、すっとぼけて馬食を切っただけのことじゃないか。

あぁ〜熊さん、それからもひとつ。

なんだい?まだあるのかい?

「牛頭豚肉」を知った農水省北海道農政事務所は1年前に北海道庁生活安全課にちゃんと文書で知らせた...という文書を公表したんだよ。どうやらもみ消したのは道庁らしいね?

ふ〜む..八つぁん、、あんたこそあいからずどうちょうもないお人だねぃ

そら農水省が、馬食を切るために道庁に責任転嫁しただけの話じゃないのかい?

文書で知らせた筈...だからなに?
農水省事務所はそれだけの行動で自分には責任がないとでも主張したいのかしらね?

で、だいたいそこを追求しないで、そのまんまタレ流す瓦版屋もなさけないやね。

てめえの不始末を下部組織や部下に押し付け、いけしゃあしゃあと、すっとぼけてしまおうとする馬脚は、すっかり庶民は見すかしていますぜ..

将軍様、老中殿、お台所担当殿

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posted by たすけ at 05:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(言いたい放題) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ステーキバンバンジー

■泡沫(うたかた)日記


マルシン♪マ〜ルシン♪ハンバ〜グ♪
手間もかけずに美味しく焼ける♪
マルシン♪マ〜ルシン♪ハンバ〜グ♪

私の記憶に間違いがなければこのCMに出ていたのは仁科明子(亜季子)さんだと思うのだが...

私がハンバーグというシロモノを始めて認知したのは小学4〜5年生の頃のこのマルシンハンバーグからだと思う。それまでハンバーグなどという食べ物は知らなかった^^;
白い油紙?に包まれていて自分で袋を破って焼こうとする時に白いラードで手がベトベトになった...


さて、枕が長くなってしまったが、私がバンバンジー(棒々鶏)という言葉を知ったのは大学生の時であった。

大学5年間の夏休みは毎年、食事つき住み込みで那須高原のレストランでアルバイトさせてもらった。いわゆる別荘族を対象したレストランで那須という場所柄、結構上質の和牛のステーキもメニューにあったが、昼時のお客様で一般家族連れでは、やはり安価なハンバーグランチなどが注文の主流であった。

ところが、日中のメニュー(夜はメニューが変わる)で、そのハンバーグランチとほとんど値段の変わらないステーキセットがあった。

その名も、ステーキバンバンジー。

調理前は冷凍でマルシンハンバーグのような袋に1袋=10枚程度重なって入っていて、繁忙期は、キッチンの片隅で常温解凍させるため100枚以上並んでいたが、解凍してくると赤紫色のなんとも言えない恐ろしい色となり肉の間から不自然に血も染み出てきて、そのままでは食味をそそる色ではなかった^^;

もう、察しの良い読者はこれまでの話の流れでステーキバンバンジーがいわゆる、くず肉を寄せ集めた「圧縮肉」であることがわかったと思うが、私たちのまかない食は、豆腐半丁に味噌汁だけとか、いつも貧弱なおかずばかりだったが、たまに日中の解凍で余分が出るとそのステーキバンバンジーにありつけることができ、一応ステーキをおかずにできる小さな幸せを噛みしめたものである。

で?当時の若いコックさんに
「なんでバンバンジーっていう名前なんですか?」
と尋ねたところ
「バンバンジーっていうのは、肉を棒で叩いて柔かくした調理法で柔かい肉の事だよ」と
教えてくれて、「へぇ〜なるほど」と納得していた。

で..ある時。お客様がそのステーキバンバンジーを注文され、テーブルに置くと怪訝な顔をされた。
「これ、棒々鶏??」
「はい、そうでございますが...」
「これ、どうみても鶏肉じゃないでしょ?」

この後、どう対処したかもう覚えてないのだがバンバンジーとは柔かく蒸した鶏肉に四川風胡麻ソースをかけたものであるという事をあらためて知った^^;

たぶん、ステーキバンバンジーとは圧縮肉に四川風胡麻ソース風のステーキソース(ややこしい^^;)かけたメニューであったような気もするのだが...
それとも、圧縮肉独特の柔かさでバンバンジーとしていたのか...今となってはよく覚えていないが
まかないで食べたバンバンジーは、少なくとも普通にバター醤油のソースで食べた記憶がある。

今回のミートホープ社の臓物混入疑惑や血で色を調整した、などという記事を読み、私の脳裏に真っ先に浮かんだのがステーキバンバンジーであった。

当時かなりの数をお客様に出したのですけど..
まさか、今回の疑惑のような肉でなかったことだけを今更ながらですが願う次第です^^;

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2007年06月27日

posted by たすけ at 17:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | ■泡沫(うたかた)日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

父と娘の17才の誕生日

日記(家族・子育て)


昨日、娘が17才になった。..そして
日付が変わって今日、私は49才になった。
いよいよ不惑から知命を迎える。

毎年の自分の誕生日の出来事をいちいち覚えていないのだが...
17才の誕生日のことだけはよく覚えている。

今から32年前の6月28日。
何故だかその夜は一睡も眠れずに29日の朝を迎えてしまった。
そして何を思ったのか、濃い朝靄の中歩いて7〜8分程の平和台の大宮神社に向かった。

........................................................

大宮神社は平和台の宅地の中で回りを削られそこだけこんもりとした高台になっている。
神社の裏手は、鋭角に削りとられ新しく階段が造られて、小5〜6の時には、巨人の星の飛馬のごとく、その階段を使ってうさぎ跳びで陸上競技の練習をさせられたのである。

また、高台の北斜面は桜が植林され、今ではちょっとした桜の名所になっているが、私が小学生の頃はまだ幹も細く、冬に雪が積もるとこの斜面を利用してソリ遊びをしたものだ。

秋には参道にある椎の木の「シイの実」を拾ってきては、乾煎りしておやつ代わりにして食べていた。
.......................................................

当時17才を迎えた朝、そんな記憶を辿りながら、その場に3〜4時間ほどいた。

東の空に昇る、白い大きな太陽を見ており靄が晴れてからは、神社裏手の西の崖からはるか遠方の丹沢連峰や富士山も見ている。

通常ならば、この梅雨の時期に富士山を見ることは難しい。なのにこの日はくっきりと富士山を見ることができ、それがだんだん薄く見えなくなるまでかなり長い時間そこに佇んでいた。

早朝の清清しい空気、白い太陽、青い富士その時、何故だか漠然と、この体験は「一生忘れないだろうとな」と思ったのである。

「俺も今日から17才か」と何故か青臭い感慨に耽り、自宅に戻ってから、毛筆でいくつかの誓いを扇子に書いた。

ところが...
その時の風景はよく覚えているのに、誓いの内容を全て覚えていないのだ(汗)

唯一はっきり覚えているのは...
『一、母を大切にすること。』
なのに、ちっとも親孝行してないなぁ(反省)

自分自身も人生の折り返し地点を過ぎてしまっている。
この1年の間に、今一度「知命」を再確認して自分自身に誓いを立て直さないといけないな。

..で。
我が娘は、17才を迎えて、
自分自身で目標でも立てたのかしら・・

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2007年06月29日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記(家族・子育て) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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