欠陥住宅(3)

日記(家族・子育て)


ともあれ、私は常に楽天家で前向きな性質(タチ)である。

私にとっては念願のマイホームであった訳で
「とうとう手に入れた!」という喜びと
「これで娘も安心♪」という満足感が
建て付けの悪さや隙間風の悪条件よりもはるかに勝り

仲介してくれた不動産屋の社長を恨むような事もなくその後リフォームを終え、真新しいペンキに塗り替えられた我が家は輝いて見えていた。

何より、環境は良かった♪駅から徒歩15分程だが周囲に緑は多い...というか
ココ別荘地?と思うくらい林に囲まれていてとにかく静かな環境であった。
(でもまだバブル期だったので100万/坪ですぜーー;)

しかし、その後1点だけ後悔した箇所があった...それは土台の低さである。

床下の通風孔が庭の地面と同じ高さ...というより
場所によっては地面の高さより低い...のである_| ̄|○

当然、雨が降ればほとんどの雨水は床下に侵入してくる。
また、台所の排水枡には常に泥が入って詰まり(´;ω;)
且つ、枡から排水本管への塩ビの排水パイプも勾配がなく建築基準より径が小さいので('A`)

雨が降らなくても、定期的に排水枡の泥をすくったり、排水パイプの中を掃除しないと、台所の排水が常に床下に流れるような家だったのである(;´Д`)

つまり、これが床下をプラスチックのビールケースで支えていた謎だった訳なのである・・・
せっかくリフォームをしたのに、住んで2年後には床の間を潰して置いたサイドボードの背面と床面は白カビでいっぱいとなってしまった_| ̄|○

それでも、まだ私自身は日当たりのいい庭と閑静な環境に満足していた...

しかし、1日家にいる妻にとっては憧れのマイホームとはとても満足できず、雨が降る度、台所で水仕事をする度に、「だから..あの時(−−;)」と承諾を得ずに実印を押した私に不満を漏らしていたf(^_^;)

その後5年もすると、いよいよ雨漏りまでするようになり、娘が中学に上がるまでにはなんとかするからとの約束で、現在の新居に引っ越した訳だが...

現在の家を選ぶ時、私にはほとんど権限がなかったのと土台が完成するまで、現場の人が呆れるほど何度も見学に行ったのは言うまでもないf(^_^;)

また現在、妻と娘が毎週欠かさず見ているTV番組は
大改造!!劇的ビフォーアフターであることも付け加えておこうf(^_^;)

これから、家を建てよう、リフォームしようと考えている皆様へ
私から1点だけ...土台=床下は絶対重要なポイントですヨ^^;


                   この項終わり

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2006年05月12日

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野鳥と会話 / 流山に残された谷津

流山チャンネル

開発で森が伐採され、小川や小道の風景がすっかり変わってしまった流山ですが・・・
私が子供の頃から変わっていない流山に残された谷津の風景があります。Y.IgucciさんのFB投稿画像がその郷愁を呼び覚まさせて頂き、8年前のブログ記事に画像を拝借挿入させて頂きましたm(_ _)m




私が生まれたのは、千葉県東葛飾郡流山町「加」1〜2歳の頃、西平井に引越し、流山小学校の時に西平井の一部が平和台と地名が変わった。平和台(住宅地域)の造成が始まると、それまでターザンごっこやザリガニ釣りの遊び場だった西平井一部の林やたんぼが無くなっていった。

それ以後は、私の家の前の道一本隔てて八木小学校の学区である前平井があり。前平井、後平井、中、野々下、柴崎、古間木(ふるまぎ)の野山でカブトムシをとったり木登りをして遊んでいた。

中学、高校になるとさすがに虫とりや木登りは、しなくなったが、少し時間があるとその地域に自転車で散策しながら、野うさぎや野鳥を見に行った。正確には、野鳥を見に行くというよりは会話をしに行ったということなのだが...

変わらない懐かしい風景.jpg

特に野鳥と話をするのは、木々の葉が落ちる冬が良かった。高校生になる頃には後平井、野々下、古間木の一部が流山市運動公園として造成が進み、田んぼや田畑に細い舗装道が作られ、タイヤに泥もつかずに林のそばまで自転車で進めるようになった。

私は、舗装道の脇に自転車を立て、そぉ〜と林の入り口まで歩み入り、そこで口笛や舌鳴らしで、ピーピー、チチっ、チョットコーイグルルグルルと呼びかけるのである。
たいていは、私の呼び声は無視されたが時に呼びかけに応じて、野鳥の声が近づいて来てくれた。そんな時は、むしょうに嬉しくなり小一時間どんな奴が応えてくれたのかと、一生懸命姿を探すのだが、なかなか姿を見ることはできない。意を決して林の奥に歩みを進めると、話相手はスッと消えてしまい、呼びかけにも応えてくれなくなる。

だから、私は自分なりのルールとして、山菜や茸を採る時以外は、私は林(彼等の巣のあるテリトリー)に侵入することなく、彼等の玄関先から呼びかけることに徹していたのである。

姿を見てすぐわかるのは、キジやコジュッケイやヤマバト、オナガ、カケス、アカゲラ、メジロ、ウグイス等々だが、私はつい近年までシラサギに、オオサギ、チュウサギ、コサギの区別があるのを知らなかった。

区別の詳細は
流山の野鳥
野鳥図鑑を参照して下さい。

小学校の前半は、西平井の田で餌をついばむシラサギを毎日横目に見ながら登校したが、後半にはそこが造成地となり、シラサギを見る機会も少なくなり、また農薬の影響で餌が少なくなったせいか野々下や古間木の田でもシラサギが減って行った。
(今では、農薬使用が少なくなったせいか市内各地でシラサギはよく見かけるようになってきています。)

野鳥の思い出は、たいていは心なごむ追憶ばかりなのだが、1つだけ恐ろしい光景に出くわしたことがある。

高校生の時は自転車通学であり、中、思井、西平井、鰭ヶ崎の区域の坂を下り、軽快に通学していたのだが。ある日の帰り道、西平井の森の奥で、カラスが呻いているような、人間の赤ちゃんが泣いているような不気味な鳴き声とも、叫び声ともつかない激しい声に足が止まった。

自転車を森の入り口に置き、それまでのルールを破ってその声の方向に森の奥へと足を進めた・・・
ほどなく声の中心に近づき、すぐ頭上を見るとそこは、シラサギのコロニー(営巣)であった。

カラスの姿は見なかったので、シラサギ同士の争いなのか、あるいは他の天敵の襲来を受けたのか、数十羽のシラサギが激しく舞い、突付き合い、地面にはおびただしい白い羽が落ちていた。また、羽以外にもシラサギの死体が数体転がりあるいは長い首を下にして、白い身体を赤い血で染めて、木枝に足をひっかける形で宙吊りになっているシラサギも見た。

それから30年ほど時が過ぎ、私の散策地であり通学路でもあった、中、思井、西平井の森の一部はTX(つくばエクスプレス)の開通によりすっかり切り開かれて、見通しも良くなった。

先日TXの車内から眺めていたら、ちょうどそのコロニーがあったところだけ木々を残していることに気がついた。
周囲はえぐってあるのに、かなり不自然な残し方で、もしかしたら、そこに何かの祠があるのか、もしくはいまだに、シラサギのコロニーがそこにあり、残してくれたのかはわからないが、今から育つ流山の子供達のためにも、野鳥のテリトリーとうまく共存しながら今後の開発が進むことを願うばかりである。


2006年05月13日

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なで肩でっちりユニセックス

昭和50年代の追憶


ユニセックスとはファッション用語である。

1972年にヒットした「学生街の喫茶店」(byガロ)のメンバーで「君の誕生日」のヴォーカルを担当したトミーなどのファッションだ。

身長168cmと男性としてはちょい小さい私だが筋肉質の割りには着痩せするらしく&なで肩でっちり体型であり、高校生になり長髪にしてからは、後ろから見てよく女性に間違えられていた。

今ではみる影もないが^^;当時のウエストは60cmあるかないか..

鎌北湖合宿
          ↑
吹奏楽部の合宿で埼玉県の鎌北湖ユースホステルに向かう途中


なで肩で困ることは、ショルダーバックがすぐはずれることだ中学時代は布製の肩下げ鞄使用が校則だったが、かっこつけて片側ちょんがけしようとしても、2〜3歩歩いただけですぐ落ちてしまったもうやだ〜(悲しい顔)

またシャツは男性物ではいつも、肩が余ってしまってかっこ悪いので、高校時代は女性物かユニセックスの服を着ていた。
しかしそのような私服で電車に乗ってると、痴漢に会うこともあり
『繰り返すが...今では見る影もないが(-。-)』
たぶんウエストが締まっている割りには、ケツがど〜ん!と出ていたからだろう・・・。

初めての時は、まさか自分のケツが故意に触られているとは思わないから...
「なんだよ(--)たいして混んでもいないのに、そんなに押すな(--;)」
と思っていたが、太ももに手が伸びて来た時は...

もしかして「..俺..痴漢されているのか!?」Σ( ̄ロ ̄lll) 
とようやく事態に気づいて...

「俺、男だぞ(ーーメ」

...と振り向きざまに言った時のおっさんのびっくりした顔と言ったら「鳩が豆鉄砲を食らった」と言う表現は、あぁ〜いう顔を言うのだと実感した!(w 

その後、私のファッションは中村雅俊主演の「俺たちの旅」のカースケに影響されアーミールックになっていったのである。

高校卒業旅行
             ↑
高校卒業後2年目(20歳)時の伊豆方面へのクラス会ドライブ旅行で伊豆の国民宿舎に泊まったがこの時から煙草が吸えるようになった^^;
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しかし、高校時代に1度だけ完璧に女学生に扮したことがある。このスナップに写っている○元さんの制服を借りて(w
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コスプレのマニアだったのか!?と思いました?( ̄ー ̄)違いますよ( ̄ー ̄)

高2の文化祭の時、我がクラスは8ミリ映画を制作上映したですが。その時に、キワモノ役で女生徒役をやったのですf(^、^;

その時の自主映画の監督をした山○君は日大芸術学部映画学科に進学し、後年、NHK教育番組で毛皮&レゲエ髪で原始人役で出演してました!(笑)

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2006年05月15日

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万年セカンド

昭和50年代の追憶

コンバットフリークである。小学校でハーモニカやタテ笛をもらって音階を覚えると暇さえあればコンバットマーチを吹いていた。

しかし、いつかはあのラッパの金管音でコンバットマーチを吹いてみたいと思っていた。
念願のトランペットを手に入れ、早速教則本を見ながら自己流で始めて、音が出るようになった時は本当に嬉しかった。

ラッパという楽器は唇の振動だけでド・ミ・ソが出せる。だからいわゆる軍隊ラッパなどはピストン(指で押す部分)がなくても簡単なメロディーが出せる。(ラッパのマークの正露丸のCMに流れてくるアレである。)

余談だが...軍隊ラッパで
消灯ラッパは
「新兵さんは可哀想だねぇ〜♪また寝て泣くのかよぉ〜♪」
起床ラッパは
「起きろよ、起きろよ、皆起きろぉ〜♪ 起きなきゃ、班長さんに叱れるぅ〜♪」
と隠れ歌詞があり、これを心で歌いながら吹いていた。

ともあれ、自己流では限界を感じて高校ではブラスバンド部に入ってろうと思った。
『しかし、ブラバンに入ろうと思ったもうひとつの理由には中学の下級生でひそかに思いを寄せるブラスバンド部の女子がいて、進む高校は別になるだろうがせめて同じ部活にすれば会えるチャンスがあるかも...との淡い期待もあったのだが^^;』

入部するや先輩が私の唇をみて
「あぁ〜君は、トロンボーンかユーホニュウムだな」と言われた。
私は
「お願いします!どうしてもペットでないきゃ嫌なんです!!」
と懇願しなんとかトランペットのパートにしてもらった。

しかし、金管楽器の基礎練習であるロングトーン(安定した振動をより長く続ける)等を怠り、ちょっと上の音階が出るようになると、コンバットマーチや自分の好きな曲ばかり吹いてしまい、いつまでたってもいい音が出せなかったので万年セカンドorサード(主旋律でない方)担当であった^^;

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2006年05月18日

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祝!男児ご出産

昭和50年代の追憶


「銀も 金も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも」

なぜ人は赤子が生まれると、えもいえない喜びを感じるのでしょうね・・・

baby1975.jpg

この赤ちゃんは、私の高1〜2担任の先生のお子さんです。先生は40半ばのハイミスだったけど途中で姓が変わりました。

つまり...ぴかぴか(新しい)祝♪ご成婚ぴかぴか(新しい)...されたわけです。

...で。その後めでたくご懐妊なされて、HRの時、そして産休をとる最後の挨拶の時なんかは、ボロボロ涙を流しながらこうおっしゃった。

「年も年だし、ちゃんと生まれてくれるかどうか...
万が一どちらかが...という時には子供だけは助けてもらう覚悟なので
もしかしたら、みなさんと会うのは今日が最後になるかもしれません・・」

この時はさすがにみんなシ〜ンとしちゃって^^;

ま、結局このように無事に生まれてクラスの有志でお祝いを持って
ご自宅にご訪問した時のスナップなんだけど...
もうこの赤ちゃん...31歳になっているのね^^;

新しい生命に喜びを感じるのは、生命の継続を成せたことを
DNAそのものが共通に感じているからなのでしょうかね?

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2006年05月19日

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『天皇』と呼ばれた男

昭和50年代の追憶


『天皇と呼ばれた男』の天皇は、私の大学時代の友達のニックネームである^^;

福岡県出身の彼の姓は、平家物語に出てくる天皇の名と同じで、時々仲間内で彼を『天皇』と呼んでいた。

駒澤公園にて
昭和56年

真ん中で「みんなで広げよう友達の輪♪」by笑っていいとも のポーズしているのが彼。もう1人は、ゼミで一番長身(195cm)だった○田君(w


彼とは卒業以来、会ったことはなかったが先日の秋葉原で再会
の時、浜北の友達が天皇の携帯の連絡先を教えてくれて「いつか機会があったら、再会しようと」
互いに連絡を取り合った。

...で。
急遽今月仕事で、福岡に1泊2日で出かける用事ができ、一昨日にネットであちこちに問い合わせ、航空券&ホテルを取ろうとしたらあいにく三連休の繁忙期で宿も飛行機もどこも満杯である。

う〜ん..新幹線で行き、宿は当日探すしかないかと、近郊の駅にチケットを買いに行ったついでに大手旅行代理店で尋ねてみたら、まだほんの少し空きがあるとこと。
しかし、よくよく聞くと三連休の1泊2日よりも前日からの2泊3日のほうが、飛行機の便も融通がきき、費用もその方が安いとのこと。じゃぁそれにしますと、2泊3日でフリーの日が1日できた。

...で。
天皇に連絡をして、「急遽、福岡に行くことになったが晩飯でもどう?」
とメールをしたら、なんと彼は「俺は、ちょうど翌日横浜出張なんだ。」
と、お互いぎりぎりセーフで卒業以来の再会が決まった(w


...で。
その数時間後、彼の携帯から次のようなメールが届いた。
「おひさしぶりです、私○○です。覚えてますか?今、天皇と一緒に暮らしています。
お互いバツ1同士ですが今ラブラブでぇ〜す♪」

...Σ( ̄□ ̄;)えっ!?

なんと、天皇は私も知っている大学時代の彼女と再婚?していたらしい(w
四半世紀の間に、人生いろいろだなぁ〜^^

それにしても....昨日からワイドショーでは皇位継承問題ばかりだが
「人生の選択を自由にできる一般庶民に生まれて良かったなぁ〜」
とつくづく思う私であった^^;

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2006年05月23日

posted by たすけ at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 昭和50年代の追憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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